講演会

「環境からエコロジーへー20世紀のメディア体験を追求する」
・講師:アレクサンダー・ザルテン
・ディスカッサント:飯田豊

2022年11月2日 総人棟1102(18:30-20:00)

報告:木村栞緒

2022年11月2日にハーバード大学教授のアレクサンダー・ザルテン氏による講演会「環境からエコロジーへ―20世紀のメディア体験を追求する」がディスカッサントに立命館大学教授の飯田豊氏を迎えて開催された。日本映画や文化を主な研究対象とするザルテン氏は、この講演で20世紀の日本におけるメディアの受容史を、様々な媒体から採集された言説と絵画や映画などの表象から開示することを目的に、人々のメディアに対する認識を「メディア環境的想像力」と「メディアエコロジー的想像力」に分類してその様態を明らかにした。

1890年代から1950年代に、メディアという不可視な存在を人々が環境として受け入れていたことを「メディア環境的想像力」とザルテン氏は定義する。電信柱や列車の描かれた明治時代の浮世絵が表すように、メディア技術が風景に入り込み圧倒された人々は自己の再定義を余儀なくされた。メディアは人間とは異なるものであり、情報伝達や空間管理の道具として認識されていた。例えば、日本初の映画館は「浅草電気館」と名付けられ、映画は内容を楽しむというより電気を体験する装置であった。最初期の電気の表象は電球が担っており、それはスイッチのオンオフで切り替えられるとものと解釈されていたようである。

1960年代以降、メディアは情報伝達よりも、状況を作りだし時間を管理するものに変化し、人間が制御できるものではなくなった。メディアの浸透によって人々はあらゆるものと直接繋がっているという感覚を抱くようになり、このような認識をザルテン氏は「メディアエコロジー的想像力」と定義する。1960年代の象徴的は技術発展として、電話は電話交換手による手動の回線切り替えから一変し、1969年には直接世界中に繋がるようになった。人間とメディアが融合し人間がネットワークの一部になるという認識は、理論のレベルでは国家がメディアを利用して社会の管理を謀っているといった津村喬の批判などに表れている。大衆文化のレベルでは、1970年代中盤からオカルトブームが起こり、あらゆるものと勝手に接続される恐怖は小説や映画などの商品として享受されたということである。

このようにザルテン氏は、目に見えない電気やメディアの概念が民衆によって言説化や表象化されたものを手がかりにその受容を紐解いてみせた。そして飯田氏は『ゲリラテレビジョン』や『スペクテイター』などの雑誌の言説やその存在自体にも焦点を当てた。 一方、メディアという不可視な存在は電子楽器や電子音響といった20世紀の聴覚的ジャンルの発展とも強く結びついていると考えられる。今後は、ザルテン氏が概念化したメディア受容の様態を基にした音響分野の研究も期待されるだろう。