書評会
『夕焼雲の彼方にー木下惠介のクィアな感性』(ナカニシヤ出版、2022年)
・講師:久保豊
・評者:菅野優香
2022年9月21日 総人棟1102/Zoom(16:30-18:00)
報告:辰已知広
コロナ禍が続くものの漸く様々な局面が元に戻りつつある中、京都大学映画コロキアムは2022年9月21日、久しぶりに対面による書評会を行った。今回は、『夕焼雲の彼方に――木下惠介とクィアな感性』(ナカニシヤ出版、2022)について、著者の久保豊氏(金沢大学准教授)、コメンテーターとして菅野優香氏(同志社大学准教授)をお招きしてハイブリッド形式で開催、総勢70名を超える参加者が集い、盛況となった。
本書は、久保氏が2017年、本学に提出した博士論文「木下惠介におけるクィアな感性の探求―1950年代の作品を中心に」に加筆修正を行ったものである。久保氏は指導教官より自身の修士論文が、異性愛規範や家族至上主義の強化に繋がる可能性を指摘されたエピソードに触れ、博士論文ではより政治的な選択、つまりクィアな映画作家としての木下惠介論に至るまでの経緯を語った。そして「政治や抑圧構造に意識的であった木下の作家研究を実践」(久保、9頁)した本書は、多角的な映像分析はもとより、『薔薇族』といった映画雑誌以外のメディアも含めあらゆる資料を網羅し、「積極的な誤読」を試みて到達した新たな観点を提示し、改めて、映画が秘める読解の豊かな可能性を証明している。
久保氏は木下映画を読み解く中で、外圧によって人を愛する機会を奪われた人たちの身体や声を取り戻す「クィアな感性」を作業定義として、各章で採用した映画修辞法の詳細を述べた。そして、『夕やけ雲』(木下、1956年)を論じた第五章を取り上げ、二人の少年洋一と原田が同性愛的なエロスを喚起させながらも、それぞれ現実というクローゼットに押し戻された可能性を示唆するショットを、自らの感性と向き合いつつ分析、考察したプロセスと批評の実践を語った。
続いて菅野氏が登壇した。菅野氏は「クィアな感性」について、他人、自分、両方を愛することを外圧によって妨げられた人に声をもたらすものとした意味について、久保氏に更なる説明を求めた一方、木下のホームムービーに着目した第一章に注目し、その斬新な論点を紹介した。ホームムービーは異性愛規範を推し進める強力な装置であり、一見本書の主旨に矛盾するかのようである。しかし、久保氏が木下のホームムービーを、その後製作された商業映画において新たな人物像や家族の姿を描く基盤となった重要な資料とし、「家族への「冷ややかな愛」が見え隠れする木下映画」という見方を創造した点について、菅野氏により評価がなされた。
久保氏は菅野氏への回答として、木下が晩年まで執拗に人を愛し、愛されたいと願った事実を指摘しつつ、「クィアな感性」によって、同性愛者のみならず、異性愛規範に何らかの違和感を覚える人たちをも包摂し、議論へと導きたかった意図を述べ、その後質疑応答となった。昨今「LGBTQ」に該当する人たちへの注目度が飛躍的に高まる一方、学術界では性的マイノリティに対する態度に大きな変化が見られないのが実情である。本書は、こうした現実に緩やかに、しかし確実に亀裂を入れる、新たな方向性を示す役割を確実に果たしたであろう。久保氏による今後の動向に注目が集まる。