公開研究発表

「アダルトビデオにおける「従属的」男性像ー1990-2000年代の日本を対象に」
・発表者:小田視希
・ディスカッサント:神田育也

2022年6月8日 総人等1104(16:45-18:15)

報告:小田視希

2022年6月8日、本年度最初の公開コロキアムとして研究発表を行いました。「アダルトビデオにおける『従属的』男性像」と題した本発表は、ディスカッサントを映画メディア合同研究室博士後期課程の神田育也さんに勤めていただき、ほかの参加者の方もあわせて、今後研究を発展させるにあたり数多くの有益なアドバイスをいただきました。

本発表では2022年3月に大阪大学大学院へ提出した修士論文をもとに、1980年代後半から2000年代前半までの日本のアダルトビデオに見られる男性像を扱いました。特に注目したのが、アダルトビデオに通時的に見られる男性監督に抑圧される男性像です。この男性像を「『従属的』男性像」と定義し、その意義を検討しました。アダルトビデオをはじめとするポルノグラフィ研究は、これまで男性像を女性との暴力的な性関係によって男性性が確立できるかのように振る舞う存在としてとらえる傾向にありました。対して、本発表はアダルトビデオ専門誌や男性向け総合誌及びアダルトビデオを検討することで、ビデオに見られる男性像の多様性をとらえています。こうした多様な男性像という分析は、ポルノグラフィ批判を行ってきたフェミニズムからは生じにくく、そうした分野への批判的研究となりうるものであると考えています。

発表では、まず1970年代アメリカの反ポルノ運動や1990年代以降のポルノスタディーズの動向を整理し、男性像が単純化して捉えられてきたことを指摘しました。その後、日本のアダルトビデオや専門誌を対象として、村西とおる、安達かおる、松本和彦といった監督の作品から、監督と彼らに抑圧される男性の様相が継続的に撮影されてきたこと、そして、そうした男性像が女性を「もの」化する手段とされる精液や射精の表象と強く結びついていることを確認しました。このような男性像の描写によって、監督が男優に性行為を指示するという性的な権力関係の操作が行われ、監督が性的能力に劣った男性を使役する上下関係が形成されるとともに、女優が撮影中にどのように振る舞っても男性性を揺らがされない位置に自らを置く形で、ホモソーシャルな関係を構築していることが明らかになりました。

発表に対して、ディスカッサントの神田さんからレスポンスをいただきました。その多くは、アダルトビデオに顕著に見られる撮影方法に起因する、監督による撮影現場への支配の不/可能性を問うものでした。アダルトビデオは撮影の中断や編集を含むものの、一日から数日間で撮影されることや、射精というときに不随意な現象が性行為において重要視される構成を考えると、監督が男性を抑圧し男性性を確立する映像の撮影は困難ではないかというものです。また、ほかの参加者からは、そもそもビデオに参加する男優や受容者はなにを求めて抑圧される男性を見ているのか不明瞭であるという指摘もいただきました。発表者は、そうした男優による不随意な射精といった「失敗」をさらに抑圧の根拠とし、監督による支配を裏付ける記述が雑誌によって行われていたことを挙げ、そうした周辺のテクストがアダルトビデオにおいて重要な意義を持っていたことを指摘しました。しかし、そうした記述を含めて、アダルトビデオは監督の視点で描かれており、抑圧される男優やそれを鑑賞する受容者の性的欲望の様相は異なる方法論から今後検討する必要があることを確認しました。